2015年に入ってすぐ、親友のYumiがありがたい言葉を教えてくれました。
フランス語に直接関係ありませんが、フランス語という高い壁をよじ登る時、脳裏をかすめる、”もう、やめよっかな・・・、できないし、恥ずかしいし・・・”という気持ち。
吉田兼好、徒然草第百五十段
何かを習得中の人は必読の名言です。
700年前も今も同じですね。
もこすけも分からないなりに、必死にフランス語の達人達にすがりついていきたいものです。
●第百五十段
能をつかんとする人、「よくせざらむ程は、なまじひ(い)に人に知られじ。内々(うちうち)よく習ひ得てさし出(い)でたらむこそ、いと心にくからめ」と常にいふめれど、かくいふ人、一藝もならひ得ることなし。いまだ堅固かたほなるより、上手の中に交(まじ)りて、譏(そし)り笑はるゝにも恥ぢず、つれなくて過ぎてたしなむ人、天性その骨(こつ)なけれども、道になづまず、妄(みだ)りにせずして年を送れば、堪能(かんのう)の嗜(たしな)まざるよりは、終(つい)に上手の位にいたり、徳たけ人に許されて、ならびなき名をうることなり。
天下の物の上手といへども、はじめは不堪(ふかん)のきこえもあり、無下(むげ)の瑕瑾(かきん)もありき。されども、その人、道の掟(おきて)正しく、これを重くして放埒(ほうらつ)せざれば、世の博士にて、萬人の師となること、諸道かはるべからず。
・現代語訳
芸能を身につけようとする人は、「良くできないような時期には、なまじっか人に知られまい。内々で、よく習得してから、人前に出て行くようなことこそ、誠に奥ゆかしいことだろう」と、いつも言うようであるが、このように言う人は、一芸も習得することが出来ない。まだまったくの未熟なうちから、上手の中にまじって、けなされても笑われても恥ずかしいと思わずに、平然と押しとおして稽古に励む人は、生まれついてその天分がなくても、稽古の道にとどこおおらず、勝手気ままにしないで、年月を過ごせば、芸は達者であっても芸道に励まない人よりは、最後には上手と言われる芸位に達して、人望も十分にそなわり、人に認められて、比類のない名声を得ることである。
世に第一流といわれる一芸の達人といっても、初めは下手だという噂もあり、ひどい欠点もあったものである。けれども、その人が、芸道の規律を正しく守り、これを重視して、気ままにふるまうことがなければ、一世の模範となり、万人の師匠となることは、どの道でも、かわりのあるはずがない。
にほんブログ村
先人たちの教えは素晴らしいですね!
返信削除おやじさんも、いくらメタボでも恥ずかしがらずそのダイエット記録を公表し続けて下さい♡。
返信削除徒然草のフランス語版は電子書籍ででているようです。
返信削除http://www.amazon.fr/gp/aw/d/B00P6MU7Z0/ref=redir_mdp_mobile/280-5621576-2293122
でもこれは、国立図書館のデータベースをまとめただけのものみたいだから、モコスケが貼ってるリンクサイトからも同じものが読めるはず。
日本の古典は外国語で読んだほうがむしろ理解しやすいかもね!
枕草子が大好き!という外人(アルゼンチン人)がいてそのなかの小話をいくつも話してくれたことがありました。私の100倍くらい枕草子に詳しかった。わたしは古典が苦手だったからなぁ。。遠い目。
Yumiの情報はすごいなあ〜〜。
削除遠い目。