いろんな意味で、全く不平等だ。
以前読んだ、河合隼雄先生の”幸福論”と言う本の一節。
”平等” ということは現代人が非常に大切にしてることである。
、、、
神様は人間の運命に対しては、途方もない不平等を与えているのかもしれない。
神から与えられた不平等と、人間の平等への努力がぶち当たって、散った火花のなかに、その人だけと言える個性が輝くのではないだろうか。
運動の能力、勉強の能力。
(残念ながら、、、)能力がある人、ない人、、、ってのが確実にある、ともこすけは思っている。
努力だけじゃ補えない能力。
向いてる、向いてないの関係もあるのかもしれない。
どんなに、もこすけが努力してもQちゃん(←マラソンの)や、真央ちゃんのようにはなれない。
勉強だって。
学問の分野でも、どんなに努力しても ”圧倒的にかなわない人” 、ってのが世の中には確実に存在している。
そういう人達をもこすけは高校生の頃から今まで相当数、見てきた。
(もちろん、その人達はその人達の世界で、また圧倒的にかなわない人っていうのが存在し、、、)
きっと、フランス語業界にも”圧倒的にかなわない人”っていうフランス語天才がいらっしゃるんだろう。。。
その ”圧倒的にかなわない人” が優雅に楽しそうに勉強している姿を見て、
”あ、私も優雅に勉強していいんだ、、、そうしよう〜〜 ”
とは、とても思えない。
その人の勉強スタイル、もこすけの勉強スタイル。
みんな違って、みんないい。
勉強の能力が高くないもこすけは、
自分はカッコ悪くとも、必死に、泥臭く、”努力” をしなければいけないと、30年ほど前に悟った。
凡人もこすけ。
”努力” してなんぼじゃ。
しつこい性格であることだけは ”圧倒的” でいたい^^。
(こんな事、ぐだぐだ言ってますが、仕事で疲れ、ビールを飲んでしまい全然勉強しできない日、多いです、、、ダメもこすけです、、、失礼しました。)
誰かの一例(成功例でも失敗例でも)は一例に過ぎず、参考にはするけどそれを全体には当てはめられないということですよね。
返信削除同感です。
世の中に絶対の真理なんてものはないということ。
それは勉強でも病気の治療法でも同じ。
ゆとり姿勢で楽々と成功した人がいるから、その勉強方法が有効だと思うので、みんなも同じように楽しみながらやるといいですよーと責任なくオススメするのか。
代替療法でガンが治った知り合いがいるから、副作用の多い標準治療はしないほうがいいですよーと責任なくオススメするのと思考回路は同じで、一例(もしくは一部の人の成功例)をみて、あたかも全部に通じる真理であるかのように拡大解釈しているのは見ていて、とても浅はかです。
そもそも目の前の人がどんなにゆとりで楽々成功できたように見えても、人に見せているその姿は氷山の一角であり、その背後にどれだけのものを抱えているかなんてわからないはず。
その想像力もないまま、単純、素直、性善説で額面のままうけとって、"自分が楽しくあれば成功でも何でも引き寄せられると考える"と考えるのは、本当に痛い意見です。
そういうことをあたかもすごい発見であるかのように語るひとを最近みかけたのでつい長々と書いてしまいました。
私もよく語学の勉強法について自分の経験や人の話から感じたことなどを書いていますが、これは全部のひとにあてはまるとは思っておらず、自分の限られた経験から得た個人的意見というニュアンスで書くようにしています。
ひとのふりみて、わがふり直せ。
気をつけないとなって思います。
楽しく勉強したい気持ちはもちろんありますが。。。
削除試験勉強、、、ツライよね、でもそれを乗り越えていこう!!!、乗り越えた先の何かを見たい!!!
と、自分を励ましてます。
白鳥?アヒル?は、ぱっと見優雅ですが、水面下では足をばたつかせているはず。
優雅な部分だけ見せたいものですが、ぐだぐだもこすけは、そのばたつかせている部分も隠さずいこうと思います^^。
見えているものだけではなく、その背後の見えないものを想像しようとする姿勢は生きていく上で欠かせないと思います。
削除それはときに"素直じゃなくてひねくれている"とか"物事をナナメからみる"姿勢とみなされますが、私は大切だと思っています。
河合隼雄先生って人の言葉が好きでして、、、
削除”うそは常備薬、真実は劇薬 ”
"学んでいて楽しくないものは、本当の意味で身につかない、というのは私の実感でもありますが、一方で、苦しさを伴わない学びもまた、ニセモノだと思うのです。"
この2つもお気に入りです^^。