“過剰な二人” 林真理子×見城徹 (講談社)
たぶん、これで最後。
まず、
○○○○=スランプ である、本の中では。
でも、もこすけの現状を” スランプ ”というのは100万年早いので、” スランプ ”という言葉を使うのは控える。
おこがまし過ぎるだろ、、、、。
もこすけはただのフランス語初心者です。
なので、以降出てくる” スランプ ”は全部 ” フランス語初心者 ” に置き換えてのことです。
一節 (注;( )内はもこすけの心の中、ね)
スランプとは、濃い霧の中をさまよい歩くようなものです。先は何も見えません。
(そうそう、” フランス語初心者 ”、ずっと濃い霧の中よ・・・、まったく先見えず。)
でも、私の中には、書けば書くほど力が付いていく実感があったのです。
(もこすけ、力が付いている実感なし。)
誰でも成長する時は、背伸びが必要だと思います。
(うん、背伸びね、してるかも)
その時は、許容量を超えるくらい頑張ることが必要ではないでしょうか。
(がんばってますよ〜〜。許容量?、超えてるかもね)
『自分の力はこれくらいだ』と、あらかじめきめてしまうことは、よくないと思います。
(う〜〜ん、分らない、決めてないと思うけど)
(略)
スランプは、たくさん吸収できる時期でもあります。
(確かにな。吸収はしているかも。でも完全に消化不良、難治性下痢状態)
だからこそ、普通以上の粘りが必要なのです。
(ねばってますよ〜〜、ねちねちですよ)
(略)
つらい時期の過ごし方で、その後はまったく違ってきます。
(そりゃそうだけど・・・)
投げ出せば、すべては終わりです。
(そりゃそうだけど・・・)
しかし、実力の蓄えられる時期でもあります。
(はい、その通りです。そうあって欲しいです)
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